世界貿易センター(World Trade Center)の事件

(2001)9月11日に起きた、ニューヨークの世界貿易センター(WTC)に2機の旅客機が相次いで突入するという事件は、人間が意図的に計画した行為とは信じがたいほどの驚愕すべきものでした。
その後の数日間は、横浜市の我が家の上空を米軍厚木基地での訓練と思われる戦闘機が昼間ばかりでなく夜間も轟音を轟かせて飛んでいました。

米大統領は、このテロ攻撃は文明への攻撃であり戦争行為であるとして、これから行おうとする自らの報復の為の戦争行為を正当化しています。テロは貧者の戦争とも言われて、テロも戦争も規模が違うだけで本質的には等しいといえるのかも知れません。

戦争の形態は文明の形態を反映しています。産業革命以後の機械文明は大量生産大量消費の形態を発達させてきました。戦争の形態も大量殺戮の形態となり究極の武器である原水爆も使われました。

近代においてはいつもテロが戦争の始まりです。
今回のテロでは、我が国における阪神大震災規模の犠牲者が予想されています。しかし、米軍や同盟軍が報復の戦争を起こせば、より多数の犠牲者が生じる可能性が大きいのです。

テロリズムの本質は憎しみの拡大再生産を原動力とする破壊活動であり、資本主義のネガティブな思想とも言えるでしょう。第二次大戦後のイスラエル建国に始まったパレスチナ及びイスラム教諸国とアメリカ及びキリスト教諸国との対立は今日まで世界の至る所でくすぶっています。
今回のニューヨークの事件は、湾岸戦争から引き続くもののようです。我が国は湾岸戦争の経費を賄いましたから、今回、政府は各方面に注意深い対応をする必要があります。

政治・社会・経済・思想の問題はその方面の専門家に任せることにして、私の専門とする建築に関して話します。

世界貿易センター(WTC)は日系アメリカ人、故ミノル・ヤマサキ氏の設計として知られています。1963年に設計が開始され、1973年竣工。1976年まで設計は継続していました。
総工費は約9億ドルで当時の日本の国家予算の約1/80という世界最大の工事でした。

WTCは航空機(707型機)の衝突を考慮して構造設計がなされていたという話もあります。
南棟が767型機の突入後約1時間後に倒壊していますので、一般の方々には弱い建物というイメージを持たれた方が多いようですが、耐震性をほとんど考慮しないアメリカの建築物としては、航空機突入と同時に倒壊したとしても不思議ではなく、1時間も持ちこたえたことは、かなり丈夫な建物と言えると思います。

もし、火災が発生しなければ倒壊はしなかったでしょう。航空機の突入の衝撃によって鉄骨の耐火被覆が脱落し、直接火災にさらされた中心コア部分の鉄骨柱が約700℃以上に加熱されて、上階部分の荷重を支えきれずに鉄骨柱がアメのように曲がって座屈破壊したのをきっかけとして、上階部分が大きな重りとして働き、下階部分を連鎖的に押しつぶしていったと思われます。

外壁部の柱と各階の床梁はピン接合なので、接合部がはじけ切れる形で、外壁柱が外側に外れて連続的に壊れていきました。建物の構造が単純で規則正しいため、とても綺麗な壊れ方です。
日本では外壁部の柱と各階の床梁とは耐震性を確保するために剛接合になっていますので、もし同様の原因で壊れることがあっても柱と梁との接合部は外れることなく、原形をとどめた醜い壊れ方になるでしょう。

WTCの倒壊の際、煙のような猛烈な粉塵が巻き上がりました。これは、床コンクリートの粉塵ばかりでなく、鉄骨の耐火被覆、天井のプラスターボードなどの破片と思われます。
建設年代からして耐火被覆にアスベストが使用されていた可能性があるのですが、上西昇氏 (1968〜76年ミノルヤマサキ事務所勤務) によれば、建設最中にアスベストが使用禁止になり、33階あたりで新たな被覆材に切り替え、アスベスト部分はビルの完成後にやり直したということです。
(アスベストに代わる耐火被覆材はロックウールが一般的です。ロックウールにはアスベストほどの発ガン性は認められませんが、ロックウール粉塵の健康上の安全性が確認されているわけではありません。)

WTCはツインタワーと廻りの数棟が共通の地下構造体の上に建つ形で1ブロックを形成しています。タワーの倒壊によって地下構造も破壊され、廻りの2棟のビルもその後相次いで足元から崩れ落ちました。
もし、突入旅客機が最初の1機のみで、タワー1棟のみが倒壊した場合は、地下構造体の破壊によって、残ったタワーが横倒しに倒壊した可能性があります。
その場合は被害がもっと広範囲におよび、より大きな被害とより多くの犠牲者が発生した可能性があったと思います。

WTC南棟に突入した旅客機を操縦していた乗っ取り犯は、新聞報道によればドイツの大学で都市計画を学んだそうです。
彼の最初にして最後の仕事が、巨大都市のモニュメント的建築を破壊することであったとは何とも言いようのない悲劇的且つ象徴的で皮肉な事ではないでしょうか。

(2001/09/28  松野 浩) 

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