個人住宅=『内なる神』の住処

建築は原初においては、住居としての機能性よりも民族及び民俗における生活秩序のヒエラルキーの頂点の象徴としての『神』=シンボルの表現に重心があった。『神』が住まう場所としての展開から神殿の形式が発生し寺院・教会等の様式へと発展した。

しかしそれは権力の増殖とともに次第に支配秩序のヒエラルキーの頂点の象徴としての『神』=シンボルの表現へとすり替わっていった。神殿の形式は権力支配の体制機能の進化が具現化する形で宮殿・城塞へ発展し、議会の発生後は議事堂・行政府庁舎等へと展開している。

『神』の権力支配への利用は、宗教と政治の分化によって表面的には見えない形を取ってはいるが、宗教・政治それぞれの組織の中に未だに息づいていて、建築様式的には権威的な形態として感じ取ることができるが、その建物の中に『神』は最早存在しない。

他方、人々の住宅はその居住する自然環境に対応して各地域毎に独特の様式の『民家』が発展してきたが、産業革命後の化石燃料エネルギー利用の加速度的な増加を具現する近代住宅様式の発展が、伝統的な『民家』の様式を駆逐しつつある。この化石燃料エネルギー支配=経済支配が今日の政治権力を支えており、人々の生活環境そして地球の自然環境を破壊しつつある。建築の形態は支配秩序の精神的表現でもある。日本においては、ハウスメーカーの化学合成物質を多用した全国同一規格の量産化住宅が、『木霊』の宿る伝統的住宅を駆逐している。

今日、『与えられた』生活秩序の中にある限り権力の地球環境破壊に加担することに他ならず、『与えられない』=『創り出す』生活秩序が未来を伐り拓くのである。そのためにこそ今日の住居はその機能を発揮しなければならない。化石燃料エネルギーに頼らずにエネルギーを作り出すことが理想(技術的には可能)ではあるが、化石燃料エネルギー支配=経済支配の状況下では一朝一夕には大多数の人々にとっては困難である。しかし、エネルギーは物質的なものばかりでなく、精神的なエネルギーが逆に人々の手足を介在して物質に働きかけることが可能なのであるから、住宅はそこに住まう個人の精神エネルギーを高めるように作用しなければならない。精神をも含めた支配秩序の包囲網に『神』が喪失した今、個人の住宅はその個人の『内なる神』の住処でもなければならないのである。

 

個人住宅=『持続可能な未来』のための本拠

個人がその住宅において精神レベルで地球と一体化するとき、『持続可能な未来』のために必要なことが見えてくるはずである。様々な物質に働きかけることは住まいの中や庭の中である程度可能であり、その周辺の地域に範囲を拡大していくことも可能である。しかし、同時に気が付かなければならないことは、個人が物質的手段を用いた物質的レベルのネットワークの一員となることによって全地球規模のネットワークを通じた物質への働きかけが可能になるということである。このとき個人の住宅は『持続可能な未来』のための本拠として機能しなければならないのである。

(1999/06/02 松野 浩)

 

グローバルとローカル

インターネット等の電子メディアが急速に普及し、個人レベルでも世界の情報に容易にアクセス可能でありかつ容易に世界中への情報発信が可能な今日、社会・文化の領域がグローバル化しているととらえるのが一般的な考え方のようである。グローバリゼーション=『地球化』に対してローカリティー=『地域性』というのが一般的な用語である。他方、グローバル=『普遍性』、ローカル=『独自性』(あるいは『固有性』個人においては『個性』)といった概念とも密接に結びついている。

経済・文化における、個人なり法人組織等の活動のグローバルな展開は独自性の喪失に繋がり、ローカルに徹した活動は普遍性の欠如に陥る傾向が現れる。おそらくグローバルな活動としては、その範囲が地球規模であるという場合ばかりではなくて、グローバルな意識(環境意識等)に基づいた個人の身の回りの活動・生活態度(物の選び方・資源の使い方・捨て方等)といったこともあり得るのではないだろうか。

一方で、地域の気候・風土に結びついた正にローカルな生活習慣・生産活動・社会形態やそれらを包み、結びつける建物・街路形態といった土着的なものこそ文化といえるものである。文化において外形的・形態的グローバル化を求めたとき、実は独自性の喪失=文化の喪失をもたらすともいえるのではないだろうか。

グローバル及びそれに対するローカルという概念は、物理的・空間的な外形的な概念だけではなく、精神的・内面的な実質的な概念を伴った二面性において認識する必要があると考える。


グローカル

グローバルとローカルを両立させた経済概念等として、グローカル、グローカリゼーション(Glocalization=グローバリゼーションとローカリゼーションという二つの相反する動きが自生的に融合していくような複雑なシステム進化へ向かう動き)、各活動分野においては、方法論としてのグローカル・アプローチ (長島孝一氏によればグローバルな展望 Global Vision を有し、かつローカル性 Local Relevance に基づいたものごとのつくり方) なるものが唱えられているが、現実的なイメージはなかなか掴みにくい。

場所・地域にこだわった正にローカルな活動の中で、その場所・地域に属する個人同士の情報交換、同様にローカルな活動を展開する他の場所・地域の、『関心』を共有する人々とのネットワークづくり (和波弘樹氏はインターネットの普及による新しいコミュニティCOI=community of interestが社会運営の主体となっていくというイメージを提示している) による、より『良い』情報の交換を行うこと。

それと同時に、場所・地域(文化)にこだわって正にグローバルにより『善い』情報の発信に努めること(全面的に善意に満ちた態度が前提である)。今日、情報の収集と利用に力点が置かれがちだが、むしろ情報の創造に集中すべきである。

これらのことはインターネット等の情報伝達手段の利用によって可能になることだが、このことによって個人レベルで、お互いが主体的かつ自由な関係での、正にグローカルな活動が可能になるのではないだろうか。

(2000/11/05 松野 浩)

 
[ 戻る ] [ 進む ]

FAX:050-7533-8406

※ 資源保護のためカタログ類の配布は致しません。

[ ホーム ] [ 上へ ] [ eco-index ] [ eco-goods ] [ 暮らし ] [ 計画・建築設計・監理 ] [ 環境計画・環境保全 ] [ 古代人の環 ]

 

Copyright© 2001-2007 The First-class Architect's Office HIROSHI MATSUNO Atelier KANKYO (Environment) System  All rights reserved